MATADOR。夢想家たちの改革

テルモ・ロドリゲス
(ボデガ・マタドール総指揮)
アルベルト・アノー
(雑誌『MATADOR』編集長)

——テルモとアルベルトがこの25年をふりかえる——

A:テルモ、1994年は何をしていたの?
※1994年MATADORの出版社LaFábrica設立

T:当時は父のワイナリー「レメリュリ」で働いていたよ。でも同時に僕自身の会社「コンパニア・デ・ビノス」のプロジェクトを始動したんだ。扱ったのはナバーラのワインだった。僕はボルドーから帰国して、スペイン中の忘れ去られた畑をめぐる長い旅に出かけたんだ。結果、途方もない、とても複雑な“国(=スペイン)”を発見した。これまで自分たちが知っていたものはほんの僅かに過ぎなかったと思い知ることになってショックだったよ。当時、レメリュリのことを話題にしながら世界中を旅したよ。一方で、いつか優れたワインを生み出す人たちと一緒に仕事をしたいという夢を抱くようになった。それはグラン・ビーノ(スペイン語で“大いなるワイン”)の輪だ。だから僕は「非現実世界」の大使になった。これまで誰も想像したことがないスペインを口にしていたから。国内では僕の考えを理解してくれない人も大勢いた。当時のスペインは、自分たちの過去をあっさり捨てようとしていたんだ。何のポリシーも持たないまま、その頃持ち込まれたばかりの外来品種に適応した土地作りをしようとして……。僕たちは、マラガ、グレドス、トロ、バルデオラス、各地の畑を復興させるために闘った。リオハやリベラ・デル・ドゥエロといった偉大な地域は、新しい見方で説明できないか取り組んだ。風景や特級畑のことを語った。でもそうした風景や特級畑を、原産地呼称委員会は中身のない空っぽのブランドに変えてしまったんだ。カベルネの流行によって40種以上の土着品種が危機に晒されてしまったから、僕たちはその保護に努めた。25年間仕事をしてきて、時には大きな困難もあった。でもそうした努力は、僕らの国の本物の味を、今日の才能ある新世代が生み出すことができるようにと思ってのことだった。

A:テルモの行動は偶然じゃない。90年代は新しいプロジェクトを始めるのにちょうどいい時代だった。スペインで民主主義がすっかり定着して、過去の考え方からの脱却を時代が求めていた。結果的に言えば、この世代が、クリエイティブな発案ができたことになる。

T:そう。僕らの世代の一致だ。「現代人になる」のが当時の僕らの問題意識だった

MATADORは“自分を危険に晒す者”。ぱっと理解ができて、いかにもスペインらしい単語でありながら、世界に通用する言葉なんだ。(アノー)

A:テルモ。君は世代間をまたぐ「ボデガ・マタドール」を創設した。それはスペインの輝かしい醸造家世代が開眼したまさにその瞬間に生まれたんだね。君たち世代は夢想家と見做されていたけれど、今では新世代に未来を託すまでに成功した。

T:ワインの場合、1つの世代が自分の番を終わらせるというのはすごく美しい考え方だと僕は思う。だからMATADORの終わりに近いアルファベットの号で出すワインは、次世代にこれまでのことを譲れるようなものにすると決めた。後続者に道を譲り、よりスムーズに世代交代ができるようにするのは、とても素晴らしいことなんだ。

写真:雑誌『MATADOR』W号と、 Arroyo 2016(キンタ・ダ・ムラデッリャ)

T:ボルドーから帰国直後の印象を振り返ると、レメリュリの畑は魔法の土地だったよ。自然と、ぶどうの樹との親密な対話を何年も繰り返した。たくさんのことを学んでいくうち、僕の人生はワインの世界のみに収まらないと気づいた。別の世界からも吸収していかなくちゃいけない。そうしてアルベルトたちと知り合う機会に恵まれた。すぐに僕にボデガ・マタドールをつくるよう提案してくれたね。まず僕自身が芸術家エドゥアルド・アロヨのためにワインをつくった(MATADOR ARROYO 1998)。実はこれ、レメリュリを飛び出した頃につくったんだ。すばらしい出来だった。マタドールを始めたばかりの頃は、僕と同世代の重要な生産者にワインを依頼した。最初はアルバロ・パラシオスに(MATADOR BOURGEOIS 1998)。プリオラートの革命的生産者の1人だ。忘れ去られた伝統地域を復興する最初の大プロジェクトだった。この世代ではピーター・シセックも際立っている。スペインに恋したデンマーク人で、リベラ・デル・ドゥエロのテンプラニーリョの古い畑に価値を見出した人物だ。彼もまた流行に反逆する人間だった。そして、ブルーノ・プラッツ、マリアーノ・ガルシア、マリア・ホセ・ロペス・エレディア、ハビエル・ドミンゲス、ベンハミン・ロメオ、ラウル・ペレスと続いていった……。ボデガ・マタドールは常に、時代を先行する才能ある生産者たちのメッセージを、各人の流儀で届けてきた。自由に満ちたプロジェクトで、情熱が損得勘定を上回っていた。誘われた醸造家たちは、日に日に、プレッシャーを感じることなく自己を表現できるようになった。ボデガ・マタドールは夢想家たちのプロジェクトとも言えるだろう。この世代のストーリーが間違いなく、僕たちの国のワインの世界を変えたんだ

A:昔と比べると今やワインはずっと増してスペインで重要な文化になっている。僕たちは幸運で、鋭い眼で未来を予見できた。物事が内側から変革するとき、その賭けに応じれるだけの力があった。

T:1つの変化に立ち会ったんだ。

A:君はその中心にいた立役者だからよくわかるだろう。今日「MATADOR」は、雑誌、芸術家のノート、ワイン、7年前からはクラブとも結びつく単語になった。僕の中で「クラブ・マタドール」は、そこで交流が生まれ、人々を繋げて共に文化を楽しむ機会、社会に一石を投じることを意味する。

T:クラブでは「スペインの偉大な畑をめぐる意見交換会」を開催している。ワインの世界をまとめると同時に文化の世界と混ぜるという着想でやっている。そこには生産者、報道記者、ビジネスマン、文化人らが集う。とても豊かな時間だよ。そしてこの集会から、2015年の「マタドール宣言」が起こったんだ。僕はこれが火をつけたと真剣に信じている。スペインワインの歴史的契機だった。もちろんクラブにとっても。僕たちの社会をより良くしていくという夢の下にこのクラブは立ち上がったんだから。

ここに掲載した文章は、MATADOR25周年記念鼎談「El Principio(始まり)」を翻訳・抜粋・編集したものです。原文は雑誌W号に掲載されています。