レポート:森久美のカトリック洗礼式

カトリック高輪教会の庭で洗礼式を待つ森夫妻

オーデックス・ジャパンの森久美は2025年4月19日(土)、東京都港区のカトリック高輪教会で行われた洗礼式で洗礼を受け、カトリック信者になりました。

式の模様やコメントをお伝えします。

カトリック高輪教会外観

2025年のイースターは4月20日(日)。その祝祭期間にあたる前日4月19日(土)の日没から、オーデックス・ジャパン社と森夫妻宅と同じ町内にあり、森夫妻が長年通うカトリック高輪教会で洗礼式が行われました。

森久美は、すでに洗礼を受けているニーノ(森俊彦)に付き添われて洗礼式に参列しました。

教会に集う旧知の方々から「おめでとうございます」と祝福されながら、二十名ほどの受洗者とともに洗礼を受け、カトリック信者になりました。

礼拝堂内で洗礼式後に記念撮影。左からニーノ、神父・赤岩聰(あかいわ・さとし)さん、森久美、代母・今枝直子(いまえだ・なおこ)さん(写真提供/森久美)

森久美のコメント「洗礼を受けて」

カトリック高輪教会の庭で洗礼式を待つ森夫妻

このたび、たくさんの方々のお導きで洗礼を受け、カトリック信者になれたことを、感謝いたします。

私の場合は、入信しようと思ってから洗礼までの期間が短く、このような私でいいのかしら、と感じたこともあったけれど、人によって多様なケースがあると思い、今は気持ちが落ち着いています。

私は、ニーノと結婚する前の2015年頃、すでにカトリック信者だったニーノから、カトリック高輪教会のクリスマス礼拝に誘われ、参加しました。

でも、キリスト教の知識はなく、行事の内容や所作はわからず、自分にとって別世界のような違和感が残りました。

2022年1月28日にニーノと結婚した後、ニーノから教会の行事への参加や、入信をすすめられても、かつての違和感から断り続け、自分は無宗教でいいと思っていました。

入信しようと思うようになった心境の変化は、年齢だと思います。

そろそろ還暦になろうとするころ、自分の死後を意識するようになりました。でも、お墓を建ててもらわなくていい、参拝してもらわなくていい。何よりも、息子に負担をかけたくない。

そこで、何が一番したいと考えると、すでにカトリック高輪教会の地下にある「クリプト高輪」という納骨堂に入ることが決まっているニーノと同じ墓所に入れたら、それが一番のよろこびと思うようになりました。

その旨をニーノと息子に伝え、理解を得ました。そして、カトリック高輪教会で入信前の講義を約1年かけて受講し、2025年4月19日(土)、洗礼を受けました。

洗礼名は、敬愛していたマザー・テレサ(1910〜1997)にちなんで、マリア・テレサにしました。

洗礼を受けた後、かつての違和感はなくなり、カトリック信者になれたことを、ありがたいと思い、かみしめています。

仕事で懇意にしているヨーロッパのワイナリーの関係者に洗礼の報告をしたところ、たくさんの祝辞をいただき、さらによろこびが増しています。

カトリック高輪教会の庭で洗礼式を待つ森夫妻

ニーノのコメント「私とキリスト教」

カトリック高輪教会の庭で洗礼式を待つニーノ

久美が洗礼を受けたことを、うれしく思います。私も60歳のときに、洗礼を受け、カトリック信者になりました。

そのきっかけは、自分の死を意識し、死後どこに行くのかを考えはじめたことです。

選択肢はふたつあり、ひとつは、故郷の兵庫県加古川市にある曹洞宗のお寺のお墓。もうひとつは、カトリック高輪教会の地下にある「クリプト高輪」という納骨堂でした。

そこで、私は生涯を振り返り、カトリック信者になろうと思いました。

キリスト教との出会いは、小学生の頃でした。

父は、兵庫県加古川市で高級呉服屋を営み、優秀な番頭や奉公人に恵まれ、着物の創作活動に専念し、学校のPTA会長も務め、地元の地位を確立していました。

このため、父は小学校の学芸会や運動会などの行事で、生徒の代表として、最初に登場する役を、私に任命しました。

しかし、私は挨拶や歌、スポーツは苦手で、なおかつプレッシャーから上手くできず、余計萎縮していました。そんな背景から、いじめられ、友だちはできませんでした。

そのとき、通っていた教会の日曜学校では、牧師さんが私を可愛がってくれて、唯一居場所を感じる場所でした。

高校生になり、世界史を学ぶうちに、東西文化の交流に挑んだ人たちに、憧れを感じるようになりました。たとえば、コロンブスやバスコ・ダ・ガマ、マルコ・ポーロなど。なかでも、最も興味を持った人は、宣教師のフランシスコ・ザビエルでした。

大学生になると、フランシスコ・ザビエルが布教した足跡を巡礼する旅を楽しみ、国内では、堺や山口、鹿児島、海外ではマカオやゴア、リスボン、パリへ行きました。その街に行くと、ザビエルの世界に近づいた気がして、幸せな気分になりました。

社会人になり、貿易を通じて東西文化の交流を生業にして、オーディオ機器の輸出入や、ワインの輸入を手がけるようになると、お世話になる取引先がある国は、ほとんどキリスト教の世界でした。

そんな生涯を振り返ると、キリスト教に支えられてきたことに気がつき、カトリック信者になることが自然体だと思いました。

また、東京の街に支えられてきたことも思い、死後はカトリック高輪教会の「クリプト高輪」に入ることにしました。そこには、7年前に亡くなった前妻の雅枝も眠っていました。

久美は、私と結婚した後、洗礼はためらっているようでした。しかし、結婚して2年ほど過ぎると、自ら洗礼を受けると言ってくれたことが、とてもうれしかった。

「クリプト高輪」は、前妻の雅枝が眠り、私も一緒に入る場所としてあり、久美も一緒に入る場所としてあることを、幸せに感じています。

(監修:オーデックス・ジャパン 写真・文:ライター 織田城司)

Supervised by ODEX JAPAN  Photo & Text by George Oda