ぶどう畑という道具を得て、その後の彼を突き動かしてきたものは常にこの郷土愛でした。彼は、ワインだけでなく、この土地にはイタリア全土に誇る豊さが宿っていると考えていました。野菜、穀類、パスタ、オイル、チーズ、サフラン、トリュフ、そして肉類。肉加工品の手法も豊富です。サン・マルティーノ・スッラ・マッルチーナ村はアペニン山脈のマイエッラ山から少し下った中腹で、その頂上まで20キロ。アドリア海までも20キロという位置にあります。標高は約420m。そこからアブルッツォ州全体に広がる様々な地形と気候、地質と気温差がもたらす変化こそが、この州の宝なのでした。

彼は最初に、祖父から譲り受けた畑の品質を上げるげることに着手しました。伝統的なペルゴラ仕立ては大きく育てると品質的に限界があると言われますが、古木なので収量を間違わなければ良質なぶどうを得ることが出来ることが次第に分かってきました。

そして最も良質な区画のみを用い、世界最高品質のモンテプルチアーノ「ヴィラ・ジェンマ」を世に生み出します。同時に彼は、周辺のぶどう栽培に適した土地を見極め、買い足していきます。まだまだこの土地から、世界に誇る銘酒が出来るとは知られていなかった時代です。きっと土地の価格もそれほど高いものではなかったのでしょう。1981年に最初のワイン造りをスタートしてから6年後、1987年にはすでに50haの畑を持つことろまでに成長しています。同時に新しい栽培法を試み、「良いワインは、良いぶどうから」の鉄則通り、畑の向上に努めます。そしてこの年のもう一つの大きな出来事は、生涯に渡り彼を支え助けることとなるマリナ・ツヴェティッチと結婚をしたことです。

彼は、自分の土地のモンテプルチアーノとトレッビアーノで世界に挑んでいこうとする過程で、既に世界で認知されたカベルネやメルロー、シャルドネなどから世界トップレベルのワインを生み出すことによって、安酒の生産地と見做される世の中の偏見を取り去ろうという試みを始めます。フランスのバリック(225リットル)で熟成されたこの強烈なパワーを持つワインはマリナ ツヴェティッチ シリーズと名付けられ、1990年から順を追って品種ごとに販売されました。マシャレッリの名がようやく有名になり始めたかならないかの90年代中頃には、醸造所を訪れた客に、ジャンニはよく自分のカベルネと、ボルドーの5大シャトーをブラインドで比較させていたものです。

こうしたイタリアの伝統手法とフランスの現代手法、そして自分だけの感覚と経験で得た手法を織り交ぜた独自のワイン造りは次第に花開き、様々なワインガイドで最高評価を連発するようになります(1992年にヴィラ・ジェンマでガンベロロッソの初トレ・ビッキエーリ)。同時に、この州のDOCであるモンテプルチアーノ・ダブルッツォとトレッビアーノ・ダブルッツォそのものの認知度を上げることに、大きく貢献しました。彼の創造したこのスタイルは、アブルッツォ・ワインの伝統から大きく発展を遂げ、彼の愛するモンテプルチアーノとトレッビアーノというぶどう品種が持つ可能性と、土地がワインに与えることが出来る最大限の可能性を込めた「新・古典主義」と呼ばれるようになります。