偉大な業績を残した軌跡
1956年、アブルッツォ州のサン・マルティーノ・スッラ・マッルチーナ村でジャンニ・マシャレッリは生まれました。アメリカや南米、カナダに大量の移民が相次いだ直後で、村で過疎化が進んでいた時期です。アブルッツォ州がイタリアの中でも最も貧しい州の一つに挙げられた頃でもあり、目立った産業がなく、国からは援助を受けるどころか国家の財政負担が南部イタリア全体の貧農に課せられていた時代です。
マシャレッリの一家はぶどう専門の栽培家でもワイン生産者でもありませんでしたが、16歳の時に季節労働者としてシャンパーニュの収穫を手伝い、ワイン造りに対する漠然とした興味を覚えたそうです。
1978年、ジャンニが22歳の時に、トラック運転手だった祖父からトレッビアーノが植えられた2.5haのぶどう畑を譲り受けました。その後、もう一方の祖父から譲り受けたのもぶどう畑で、収量でいえば半分以下のごく僅かなモンテプルチアーノが植えられていました。
ワイン造りは、どこで学んだものでもないと言います。確かに彼の、現在に通ずるまでの醸造法はアブルッツォの伝統とは言いがたいものです。寧ろ、アブルッツォ州の伝統からは高品質ワインが生まれると思われていなかった時代です。誰もが故郷の地に自信を持つ事が出来なかったこの時代に、彼はアブルッツォ州の、そして生まれ故郷サン・マルティーノ・スッラ・マッルチーナ村の、自然がもたらす恵みがとても貴重な宝であることに気づいていたのです。そして、いつの日かその真価を発揮させるのは自分の役割だと考えていました。