【gambaletta odex 四人通信】 vol.3

テーマ:ワインの歴史、未来、可能性

55年55カ国海外を飛び回り、ワイン文化を現地で見届けてきた私事nino喜寿77歳。この50年アンジェロ・ガイアの動向を見続け、アンジェロとは今でも家族ぐるみのお付き合いをしています。25年前テルモと付き合い始め現在にいたります。今号と次号で、私が大きく2つのVISIONで、これからのワインの可能性を語ります。

安旨スペインワインのベストセラー「エルカビオ」のMás que Vinosも醸造にアンフォラを使います。ラ・マンチャは乾いた大地ですが、実はこの暑くて乾燥した環境こそぶどうに最適。写真は左から醸造家のマイ、ゴンサロ、アレハンドラの黄金トリオ。

VISION① イベリアがフランスを抜く

◯ワインは地中海のギリシャからフランスへ

ワインの起源は約5000年前にさかのぼり古代ギリシャとジョージアが発祥の地です。もともと古代ギリシャの文化だったワインが、やがてナポリを通じて古代ローマに入りました。その後シーザーがフランスを征服する時代にローヌ川を越えて北地ブルゴーニュへ、西に流れてボルドーへと入っていきました。フランスは約400年前から国が豊かになるとワインに質を求めるようになりました。そこでテロワール、グラン・クリュ、畑の選別化などの考え方が出てきて、嗜好品としてワインを愉しむ文化が定着していきました。 フランスは、自国にワイン醸造とぶどう栽培を定着させるために繰り返し努力をしてきました。本来ならもっと南の環境で育つぶどうを適応させるため、品種改良をし、肥料を使い、寒冷地のシャブリでは収穫時にストーブを使います。こうしたフランス人の努力は途方もないもので賞賛に値します。一方、ワインの質を維持するためにコストがどんどんかかり、ぶどうも肥料を使うのが当たり前になっていきました。今流行しているビオはその反動です。

◯地産地消、スペインのアンフォラ、ワインづくりは土の文化

けれども私ninoが世界中のワインを見ていく中で、砂漠に近い環境が一番ぶどうに適していることが分かってきました。具体的にはオリーブ、イチジク、アーモンドが育つ乾燥した土地で、そこではぶどうもよく育ちます。私が付き合ってきたスペイン人たちはフランスより貧乏で肥料を買うお金もありませんでしたが、暑い産地なので病気が広がらないため、そもそも肥料がいりません。スペインのテロワールを見ると、暑くて乾燥している土の文化で、ワインにぴったりなのです。アンフォラ(巨大な土器)でのワインづくりがその代表例です。 こうした土地でフランス産バリックを持ち込むと、かえってとても高くつきます。地産地消の観点から言えば、バリックをスペインで使うのが果たして正しいことなのか、私は疑問を抱いています。今やワインづくりは世界中に普及しましたが大半はフランスの真似をしてきました。世界各地でバリックやステンレス樽が使われ、人々はカベルネ・ソービニョンやシャルドネに夢中になりました。例えばイタリアのトップとされるサッシカイアやオルネライアは、ボルドー市場経由でワインを売っています。イタリアのボルゲリもアメリカのカリフォルニアも、フランスの真似と言えるかもしれません。

バレンシアのceller del roureのアンフォラ。バリックを使わず、土の文化を蘇らせたワインづくりの先駆的存在。NHKの『旅するスペイン語』でも紹介されたワイナリー。ラベルはトンボのデザイン。赤とんぼはガルナッチャ主体、黒とんぼは土着品種マンドー90%、黄とんぼはマンドー100%。

◯この50年のアンジェロ・ガイア、25年前と今のテルモ。これから25年後の展望。

私はこの50年、イタリアの巨匠アンジェロ・ガイアの動向を見続けました。アンジェロは一時期フランスの国際品種に手を出したものの、最終的にはイタリアの土着品種を見事に復活させ、フランスのトップワイン生産者たちと肩を並べるまでになりました。そして今から25年前に私はスペインのテルモと知り合いました。スペイン固有の文化、土着品種、テロワールを復活させることに情熱をかけている当時の彼を見て、私は「スペインで一番有名な男になる」と予言し、そのメッセージを伝える広告にはポンテ・ベッキオの山根さんに出ていただきました。そして25年経った今、テルモは本当にスペインで一番有名な男になりました。次世代のスペインの新しい生産者たちも、テルモを追いかけてすごいエネルギーをもっています。 さらに隣国ポルトガルにもぜひ目を向けていただきたいと思います。ポルトガルは自国市場がスペインより小さい反面、国際市場が大きいです。海洋国家で文化的に豊かな国で、エンゲル係数がヨーロッパで一番高い国です。ワインのテロワールで言えば、一番ぶどうに適した気候に位置しています。ポルトガルの土着品種の中でもアルバリーニョとトゥリガ・ナショナルが私は大好きですが、この2つは2019年からボルドーで植えてもいいことになりました。ワインの動向を50年間見てきた中で、これからはポルトガルがぐんぐん伸びると肌で感じます。ドイツやフランスなどかつての経済大国が力を失ってきている今、ヨーロッパの南の国々は、アジアの南の国々と同じように、エネルギーに満ちていて勢いづいています。

そしてこれから25年後には、スペインとポルトガル、つまりイベリアの生産者たちがボルドーの5大シャトーを超えるワインを生み出していると確信します。

スペインを変えたテルモ
カメレオン・アルバリーニョのジョアン
CARMのフィリッペ

MATADOR。夢想家たちの改革

テルモ・ロドリゲス
(ボデガ・マタドール総指揮)
アルベルト・アノー
(雑誌『MATADOR』編集長)

——テルモとアルベルトがこの25年をふりかえる——

A:テルモ、1994年は何をしていたの?
※1994年MATADORの出版社LaFábrica設立

T:当時は父のワイナリー「レメリュリ」で働いていたよ。でも同時に僕自身の会社「コンパニア・デ・ビノス」のプロジェクトを始動したんだ。扱ったのはナバーラのワインだった。僕はボルドーから帰国して、スペイン中の忘れ去られた畑をめぐる長い旅に出かけたんだ。結果、途方もない、とても複雑な“国(=スペイン)”を発見した。これまで自分たちが知っていたものはほんの僅かに過ぎなかったと思い知ることになってショックだったよ。当時、レメリュリのことを話題にしながら世界中を旅したよ。一方で、いつか優れたワインを生み出す人たちと一緒に仕事をしたいという夢を抱くようになった。それはグラン・ビーノ(スペイン語で“大いなるワイン”)の輪だ。だから僕は「非現実世界」の大使になった。これまで誰も想像したことがないスペインを口にしていたから。国内では僕の考えを理解してくれない人も大勢いた。当時のスペインは、自分たちの過去をあっさり捨てようとしていたんだ。何のポリシーも持たないまま、その頃持ち込まれたばかりの外来品種に適応した土地作りをしようとして……。僕たちは、マラガ、グレドス、トロ、バルデオラス、各地の畑を復興させるために闘った。リオハやリベラ・デル・ドゥエロといった偉大な地域は、新しい見方で説明できないか取り組んだ。風景や特級畑のことを語った。でもそうした風景や特級畑を、原産地呼称委員会は中身のない空っぽのブランドに変えてしまったんだ。カベルネの流行によって40種以上の土着品種が危機に晒されてしまったから、僕たちはその保護に努めた。25年間仕事をしてきて、時には大きな困難もあった。でもそうした努力は、僕らの国の本物の味を、今日の才能ある新世代が生み出すことができるようにと思ってのことだった。

A:テルモの行動は偶然じゃない。90年代は新しいプロジェクトを始めるのにちょうどいい時代だった。スペインで民主主義がすっかり定着して、過去の考え方からの脱却を時代が求めていた。結果的に言えば、この世代が、クリエイティブな発案ができたことになる。

T:そう。僕らの世代の一致だ。「現代人になる」のが当時の僕らの問題意識だった

MATADORは“自分を危険に晒す者”。ぱっと理解ができて、いかにもスペインらしい単語でありながら、世界に通用する言葉なんだ。(アノー)

A:テルモ。君は世代間をまたぐ「ボデガ・マタドール」を創設した。それはスペインの輝かしい醸造家世代が開眼したまさにその瞬間に生まれたんだね。君たち世代は夢想家と見做されていたけれど、今では新世代に未来を託すまでに成功した。

T:ワインの場合、1つの世代が自分の番を終わらせるというのはすごく美しい考え方だと僕は思う。だからMATADORの終わりに近いアルファベットの号で出すワインは、次世代にこれまでのことを譲れるようなものにすると決めた。後続者に道を譲り、よりスムーズに世代交代ができるようにするのは、とても素晴らしいことなんだ。

写真:雑誌『MATADOR』W号と、 Arroyo 2016(キンタ・ダ・ムラデッリャ)

T:ボルドーから帰国直後の印象を振り返ると、レメリュリの畑は魔法の土地だったよ。自然と、ぶどうの樹との親密な対話を何年も繰り返した。たくさんのことを学んでいくうち、僕の人生はワインの世界のみに収まらないと気づいた。別の世界からも吸収していかなくちゃいけない。そうしてアルベルトたちと知り合う機会に恵まれた。すぐに僕にボデガ・マタドールをつくるよう提案してくれたね。まず僕自身が芸術家エドゥアルド・アロヨのためにワインをつくった(MATADOR ARROYO 1998)。実はこれ、レメリュリを飛び出した頃につくったんだ。すばらしい出来だった。マタドールを始めたばかりの頃は、僕と同世代の重要な生産者にワインを依頼した。最初はアルバロ・パラシオスに(MATADOR BOURGEOIS 1998)。プリオラートの革命的生産者の1人だ。忘れ去られた伝統地域を復興する最初の大プロジェクトだった。この世代ではピーター・シセックも際立っている。スペインに恋したデンマーク人で、リベラ・デル・ドゥエロのテンプラニーリョの古い畑に価値を見出した人物だ。彼もまた流行に反逆する人間だった。そして、ブルーノ・プラッツ、マリアーノ・ガルシア、マリア・ホセ・ロペス・エレディア、ハビエル・ドミンゲス、ベンハミン・ロメオ、ラウル・ペレスと続いていった……。ボデガ・マタドールは常に、時代を先行する才能ある生産者たちのメッセージを、各人の流儀で届けてきた。自由に満ちたプロジェクトで、情熱が損得勘定を上回っていた。誘われた醸造家たちは、日に日に、プレッシャーを感じることなく自己を表現できるようになった。ボデガ・マタドールは夢想家たちのプロジェクトとも言えるだろう。この世代のストーリーが間違いなく、僕たちの国のワインの世界を変えたんだ

A:昔と比べると今やワインはずっと増してスペインで重要な文化になっている。僕たちは幸運で、鋭い眼で未来を予見できた。物事が内側から変革するとき、その賭けに応じれるだけの力があった。

T:1つの変化に立ち会ったんだ。

A:君はその中心にいた立役者だからよくわかるだろう。今日「MATADOR」は、雑誌、芸術家のノート、ワイン、7年前からはクラブとも結びつく単語になった。僕の中で「クラブ・マタドール」は、そこで交流が生まれ、人々を繋げて共に文化を楽しむ機会、社会に一石を投じることを意味する。

T:クラブでは「スペインの偉大な畑をめぐる意見交換会」を開催している。ワインの世界をまとめると同時に文化の世界と混ぜるという着想でやっている。そこには生産者、報道記者、ビジネスマン、文化人らが集う。とても豊かな時間だよ。そしてこの集会から、2015年の「マタドール宣言」が起こったんだ。僕はこれが火をつけたと真剣に信じている。スペインワインの歴史的契機だった。もちろんクラブにとっても。僕たちの社会をより良くしていくという夢の下にこのクラブは立ち上がったんだから。

ここに掲載した文章は、MATADOR25周年記念鼎談「El Principio(始まり)」を翻訳・抜粋・編集したものです。原文は雑誌W号に掲載されています。

嘘が現実に! クリオロカレー

高輪glasshouseに来ていただいたお客様に、ninoとodexスタッフが必ずご紹介する洋菓子店があります。エコール・クリオロさん。フランス人シェフのサントスさんがつくるチョコレート菓子は絶品! 本店は練馬区の小竹向原駅から徒歩5分。中目黒駅の目の前にも支店があります。いつも行列ができて賑わっています。お土産やプレゼントにクリオロさんのお菓子を持っていくと喜ばれること間違いなしですよ。

クリオロのサントスシェフとnino。シェフはフランスのチョコレートメーカー「ヴァローナ」で技術指導・レシピ開発に携わり、現在もメディアに多数出演しています。ninoとの会話はもちろんフランス語で。
サントスシェフと妻であり共同経営者の岡田愛さん。実は愛さんは昔odexで働いていました!

そんなodexともふか〜く馴染みのあるクリオロさん、なんと今年の4月1日からレトルトカレーの販売をスタートしました! その名も「クリオロカレー」。なんで洋菓子店でカレー?? と思いますが、実は面白いエピソードがあって……。さかのぼること4年前の2017年4月1日エイプリルフール。ここでクリオロさんが、カレー販売開始! と嘘のパッケージ画像つきの嘘告知をしたところ、「どこで買えるの?」というお問い合わせが殺到したんだとか……! そしてついに4年後の今年、嘘が現実になってしまいました。クリオロカレーが現実で買える! まさにお待ちかねの商品ですね〜!

odex のみんなもこのカレーを試食いたしました! レトルトなのにお野菜ごろごろ。特にレンコンやきのこがたっぷり入っているのは珍しい。お肉はチキン。具沢山で美味しかったです。

遊び心がいっぱい詰まった具沢山のクリオロカレーは高輪 glasshouse でも購入できます。カレー単品だと1080円(税込)。さらに、ninoが選んだカレーに合うワイン(赤白いずれか)1本とセットでご購入いただくと、かなりお得! 45セットの限定入荷です

いつもワインを買いに来てくださる皆様、今度はぜひカレーと一緒に!

【gambaletta odex 四人通信】 vol.2

今回からodex通信は4人の通信になります。私事nino喜寿77歳、kumiさん、yoshiくん、nagiちゃんです。kumiさんは今月から副社長になりました。yoshiくんとnagiちゃんにも2年後に副社長を目指して頑張ってもらいます。これからninoとkumiさんは6本ワインセットを全国に広めることに集中します。若い2人のyoshiくんとnagiちゃんが、7月1日から卸の仕事を全面的に担当します。4人一丸となって頑張りますのでよろしくお願いします。

嬉しいニュースが2つ。伊豆下田のスペイン料理ミノリカワさんが永続の酒販免許を取得されました。ミノリカワさんは、昨年度の臨時酒販免許の時もodexの6本ワインセット販売で伊豆新聞の一面に取り上げられた注目のレストランです。これからはレストランでワインが売れます。ワインショップレストランの時代です。ミノリカワさんはその大きな見本になるでしょう。ワインショップ無事OPENおめでとうございます!

酒販免許を取得してwineshop「ミノテカ」をOPENされた、伊豆下田スペイン料理MINORIKAWA御法川輝雄さん&麻子さん

もう1つの嬉しいニュースは八ヶ岳のアグネスさんとの出会いです。ご両親は片方がドイツ人、片方がフィリピン&スペインのハーフ。日本人の旦那さんと結婚してカフェ「アグネス八ヶ岳」を運営しています。とても元気で魅力溢れる女性です。出会いのきっかけは、ある日「美男子セット」のワインを飲んだアグネスさんから「どのワインもすごく美味しくてびっくりした!」と興奮気味にお電話をいただいたこと。以降、odexの6本ワインセットを毎月3ケース買っています。特にポルトガルとオーストリアがお気に入り。彼女はほんもののワインの味がわかる人です。地元の人にも6本ワインを頑張って広める! と力強く言っていただきました。自信に満ち溢れたアグネスさんに、私たちも大きな元気をいただきました。

カフェ「アグネス八ヶ岳」を経営するアグネスさん(右)ninoを挟んで、旦那さんのエディさん(左)。

今、6本ワインセットのビジネスが勢いづいています。地元にninoファンをたくさん作ってくれたノブちゃんのワインセラー銀座ヤマガタヤ(彦根)は「ninoの日本のおうちワイン」ついに100セット達成しました!!ノブちゃんおめでとう!!

ワインセラー銀座ヤマガタヤのノブちゃん

繰り返しますが、ワインショップレストランの時代が始まりました。odexと共に大きくわけて2つのワインを売りませんか。1つ目は、お店のセラーから提供してお客さんがお持ち帰りする今宵の1本。2つ目は、odexの6本ワインセット。ご家庭にいつもワインのある風景をつくり、食卓を囲んで開けてもらいたい。だから6本なのです。odexからお客さんのご自宅に直送するので在庫負担になりません。これは未来の可能性がつまったセットです。スペインで一番有名になった男であり、今や生産者たちのリーダー的存在となったテルモのワインも入っています。スペインの実力を証明するのが「MATADOR」シリーズ。なんと来月には新しいMATADORが2つ入荷します。今、南の国のワインが伸びています。明るく元気いっぱいの南の人たちは、世の中を変えるエネルギーに満ちています。ヨーロッパの南、ポルトガルとスペインのトップ生産者のワインはボルドー5大シャトーのワインを超えるでしょう。これから25年以内に。これは25年前にテルモがスペインで一番になると予言した私が繰り返し訴えたいメッセージです。

メガネのZoff web shopページ

最後にわくわくする事を。glasshouse高輪にファッションのプロがやってくるようになりました。先月はメガネのZoff、今月はミラノ発の女性ブランド「インドゥエリス」の撮影がここで行われました。モデルさんは金髪長身のドイツ系ブラジル人で、惚れ惚れしました。拙いポルトガル語で挨拶したら、クリティバの南フロリアノポリス出身だと教えてくれました。私が今習っているポルトガル語の先生がクリティバ出身です。次は誰かな!?(nino談)

【gambeletta odex通信】nino talk vol.1

私ごとnino喜寿77歳の「gambaletta odex通信 nino talk」連載スタート!毎月21日にお届け。odexの3人の社員(Kumiさん、Nagiちゃん、Yoshiくんと)と一緒に取り組んでいることや、全国で出会った皆様との交流を発信します。大変な世の中ですが、皆さんで頑張って乗り切りましょうという思いを込めて、「頑張るレター」の意味でgambeletta(ガンベレッタ)です。

まずは最近私が出会った素晴らしい人を紹介します。大阪にあるギフトラッピング用品包装資材の会社HEADSのご代表、暮松さんです。彼との出会いは私が毎週末通っている伊豆の断食道場サナトリウム。実はサナトリウムには酒販免許を取っていただき、ninoのおうちワイン6本セットがここで大ヒットしています。断食道場に来る人たちは皆頭が柔らかくて素晴らしい人ばかり。暮松さんとも初対面で直感的にお互いに友達になりました。先々週は彼を誘って大阪のエルポニエンテで食事をして、先週5月14日金曜日、実際に暮松さんの会社を見せてもらいました。

暮松さんは私が理想とする会社の在り方を示してくれました。特に「社員を幸せにする」ことを会社の目的として掲げていることに大きな感銘を受けました。odexも、まずは大切な3人の社員の幸せを目的にする会社でありたいと思います。次にワインを買っていただいている取引先の皆様、仕入れ先の生産者の幸せを目指す会社にします。

私は今77歳。死ぬまで仕事をしたいと思っていますが、いつか個人は亡くなります。けれども会社は永遠にのこしたい。そのためにも今月Kumiさんを副社長にします。これからKumiさんと私の2人で「おうちワイン6本セット」のアイデアをさらに全国に広めていきます。そして生産者とのコミュニケーションや企画力で頼りがいのあるNagiちゃんと、odexワインの管理だけを15年間倉庫で続け、odexワインが完璧に体の中に入っている信頼抜群のYoshiくん。この2人にも18ヶ月後には副社長を目指してほしいと話しています。全国の担当を順番にNagiちゃん(北海道、関西~九州)とYoshiくん(関東、中部、東北)に引き継いでいきます。そして18ヶ月後の2022年11月21日、3人の副社長と一緒に、odexは50周年を迎え第二半世紀に突入します。 

Kumiさん、山根さん、nino

最後に嬉しかったことを。先週の金曜日に大阪のイタリアン、ポンテベッキオの山根さんの料理会にKumiさんと参加しました。美味しい食事と素晴らしい山根さんのお話。そこにはフードライナーの太田さんの奥様も出席なさっていました。私より大先輩にあたる方からお声をかけていただきとても恐縮いたしました。そして記憶力抜群の山根さんから、25年間のodexワインの思い出を会場の皆さんにご披露いただき非常に嬉しかったです。生ハムのホセリートも山根さんをきっかけに始めました。山根さんは、テルモのワインの日本導入にも大変貢献いただいた方です。 

中村さんとnino

その後、大阪から福岡へ移動し、中村ぶどう酒店さんを訪ねました。お店の外にも中のバーにもodexのおうちワイン6本セットのポスターが!まるで高輪のようでした。バーでご主人と盛り上がって話をしていたら、ちょうどワインセットの配達から奥様が帰ってこられて、テレパシーですね!とお互いに大喜びでさらに盛り上がりました。高輪に戻った後、中村さんの奥様がSNSで私のことを丁寧に紹介してくださっていました。私の経歴を過去から遡り、非常に上手に文章でまとめていただいて、本当に嬉しかったです。皆さんにもぜひ読んでいただきたいです。中村さんありがとうございます!

テルモとの25年をふりかえり

テルモとの25年をふりかえりアンジェロ・ガイアの50年から25年後を予見すると、テルモを筆頭とするトップスペインの生産者が、ボルドー4大シャトーと同じレベルにまで到達すると思う。テルモとは1996年1月6日エピファニーの日に付き合い始めた。彼の口癖はラ・ターシュをスペインでということだった。ラ・ターシュを抜くのは難しいかもしれないが、僕はアンジェロ・ガイアの動きを50年ちかく追いかけてきた経験そしてシャトー・ヴァランドローとの付き合いから確信をもっている。少なくともボルドーの4大シャトーのレベルには到達すると思う。

4月1日nino mori

日本でいちばん豊かな過去? だったodex?

 Facebookのおかげで50年来の友達との交流がよみがえってきています。1972年私が東京で会社を興したとき、スコットランドのグラスゴーで会社を興したリンソンデックのアイバー・ティーフェンブン。そしてネイムオーディオのマーク・タッカー。BBCのモニタースピーカー、ロジャースのブライアン・プーク。そしてイタリアでは、マシャレッリの事務所の番頭格ロサーナから「Nino che sorpresa! Sono felice di trovarti qui su Facebook!」と。続いてマーク・タッカーからのメール(ちょっと長文ですが)。

 odexは、1年後に50年目に入りますが、その次は「第2次50周年期」に突入します。第2次50周年期という考えは、昔odexの仲間だったイタリア人のダビデ・エレディタートが、40周年の時に一緒にデザインしたTシャツから。そこには「i nostri primi 40 anni」。最初の40周年は、すごく豊かでした。もう一度豊かなodexを、今夢見ています。

odex40周年記念Tシャツをもつkumiさんです。

 でも実のところ10年近く前にKumiさんと私と、odexのルネッサンス(再生)を目指してスタートした時、どんぞこでした。今も私は実は無給なんです(こんなこと話してもいいのでしょうか?)。ただ、マーク・タッカーが日本に来た30年くらい前。マークにも参加していただいた社員旅行はなんと箱根の富士屋ホテルでした。スペシャルゲストは、リーガロイヤルホテル、レストランヴァンサンク、続く大阪の第3のodexのフレンチのお客さん、エプヴァンタイユの髭のシェフ、山田さんにもお付き合いいただきました。山田さんお元気ですか。40周年記念の社員旅行は2つのグループにわけて、前半は中国広州。全日空主催の日中友好ウォーク。西湖一周に参加。後半の半分のグループは台北マラソンに参加。たしか元odexの天野くんがハーフをフィニッシュしました。

 こんないい時代を、もう一度夢見ています。大変な時代ですが、応援してください。一緒に頑張れればと思います。そのためにたくさんの夢を見ています。厳しい時は、夢を見るのに限りますね。喜寿のニーノです。

伊豆とハワイのイルカ。高輪の人。人。人。そして大阪城。

 ルレ・エ・シャトーのホテル、観音崎京急ホテル。目覚めの良い朝。部屋から海の向こうに房総半島の鋸山。50年近く前の油壺からヨットの遠出を思い出す。伊豆大島の手前でイルカの大群に遭遇。ヨットのスピードに合わせて一緒に長い時間をかけてついてきてくれて感激。生き物の中で、伊豆のシカ、六甲のイノシシ、奥多摩のクマ、軽井沢のキジも大好きだけれど、やっぱりイルカがいちばんかわいい。イルカのかわいいのは、ハワイで大好きなカハラヒルトン(古い名前で呼ばさせてください)のラグーンのイルカ、いつも気持ちよく僕を迎えてくれる。

 カハラに通い始めてもうすぐ55年。ハワイで最後に行ったのは、今は亡き妻雅枝と久保田夫妻とすごしたクリスマス。久保田さんは、odex開設時にすごくお世話になった三菱銀行品川駅前店の支店長で、odex40周年記念にご招待。奇しくも当時三菱銀行のあった品川駅前の角地に、僕がいつも朝食を頼むTHAIカフェのマンゴーツリー。いただくのはカオマンカイ。タイ風に生姜をあえたチキンライス。僕は、マンゴーツリーの社長小島さんと一週間タイを食べ歩きしたことがある。タイの食べ歩きはなんと、イタリアンのシェフ、マンジャペッシの日高さんご夫妻とも一週間。15年くらい前の話かな。実はタイ料理は、仏、伊、西の西洋料理よりもぐんと美味しいと思っている。ごめんなさい。みなさん。

 マンゴーツリーはメキシコっぽい色あざやかなテキーラ・クエルボのテーブル。タイだけでなく南国の雰囲気にいつも心がなごやむ。クエルボの輸入元はアサヒビール。同じマンションに住んでいらしゃった元アサヒビールの社長樋口廣太郎さんを思い出す。マンゴーツリーからodexの中間点、高輪カトリック教会に奥さんとお嬢さんと一緒に通っていらっしゃった樋口さん。実は、高輪台近くの7軒の小さなマンションで、管理組合の委員長と副委員長を私と共同でさせていただいたことがある。とはいっても、当時20代の青二才で、事務が不得意な私の名前は看板だけで、私にまかせるのではなく、樋口さんがすべての事務職を、アサヒビール社長職のお忙しい中でされていました。すごい方でした。住友銀行副頭取を経験なさった方でしたが、気さくな関西系商社マンという感じでした。

 マンゴーツリーの上に、高輪のワインショップエノテカのお店がある。エノテカが代理店をするアンジェロ・ガヤの娘ガイア・ガヤ。高校を出た時に二週間、私どもの自宅でホームステイをしたことがある。父親アンジェロも娘ガイアも、ちょうど手に入れたばかりの高輪グラスハウスワンをこよなく愛してくれました。「Que Bello」の言葉を毎日のように繰り返して過ごしてくれました。そして雅枝のことを日本のお母さんと呼んでくれました。アンジェロが気に入っていたのは高輪の大きなイチョウの木。一緒に楽しんだ銀杏拾い。アンジェロのワインの代理店を10年ばかり、モエ・ヘネシーと2社で日本で引き受けていることがありましたが、いつもアンジェロからヘネシーは巨象でodexはかわいいモスキートだと言われていました。アンジェロとのつきあいは、イタリアのアルプスの山歩き。そして神戸六甲の山歩きと京都の町歩き。また断食道場がよい。いろいろ楽しんでいましたが、odexは小さなモスキートでも、大きな象の鼻の上でブンブン飛び回ると気になるんじゃないかな、と思い10年ばかりコラボした後、自分のほうから身を引きました。でも未だに家族ぐるみでお付き合いをいただいています。

18歳のガイア・ガヤと、日本のマンマ雅枝さん。

 さて、アンジェロ・ガヤの輸入元エノテカのオーナー廣瀬さんから、アンジェロ・ガヤの代理店をやりたいのでとりもってほしいという相談を受けた時、2人にとって一番いいパートナーになるのかなと思い、一肌脱ぎました。彼らが会う場所を東京にしろ大阪にしろ、都心のホテルやレストランではすぐに目につくので、考えた末、なんと大阪城で真昼間に落ち合いました。そして2人は合意して今に至っています。廣瀬さんお元気ですか。今エノテカ高輪店から歩いて10分。坂の上に面白いワインの実験店odexグラスハウスを運営しています。一度遊びにお見えになりませんか。私ごとコロナの問題が起きた5月の第一週、初めて新聞チラシでニーノのおうちワイン1万円セットとバスクの貴公子テルモの1万円セットを売り出しました。高輪4丁目限定で新聞チラシ400部で、5時間で20セット売れました。一度お店を見ていただければ幸せです。nino

ことば。ひととワイン。そして風。

この記事は2020年10月1日発行『東京外語会報』No.150に掲載されたものです。

森俊彦(もり としひこ)(外D1968)

新緑の風をたのしんで、高輪の丘の上でフラメンコのイベントを! という話がとつぜんまとまりました。2018年春、桜の咲く高輪の僕のアトリエに遊びにきてくれた外語出身の若い女性4人、宮本洋子さん(外D1991)、宮台智子さん(外M2001)、由佐奈緒子さん(外S1991)、羽二生知美さん(外S2016)と。そのことが外語会のメールマガジンで紹介されました。(※)それがきっかけで、同期のゼミの友人井田秀機さん(外M1967)からの勧めで、僕のことを語ることになりました。

瀬戸内海に面した小さな村で生まれました。高校は加古川東。地方では有名な進学校でしたが、僕は関西弁で言う「あかんたれ」でなにもできませんでした。英語だけ辛うじてできたので、英語だけを勉強しました。学校に通う以上に、神戸の港で会う外国人に、あえて手当たり次第に英語で話しかけました。浪人して、辛うじて外語のドイツ語科に受かった年、観光ガイドの国家試験に受かりました。大学に通わずに、JTBでインバウンドのガイドをしていました。ドイツ語の仕事をふくめて大学時代をアルバイトで過ごしました。1964年、初めて日本人が海外に出かけられるようになりました。1965年にはガイドで稼いだお金で東南アジアを廻りました。インドネシアでは、当時留学していた、下宿のルームメイトであった長篤史君(外In1968)を訪ねました。バンコック、シンガポール、KL、どこの国に行っても日本の学生を見るのが初めてという時代でした。テレビ、新聞のインタビューに出ていました。そして羽田に帰った時には日本テレビに取材されました。そのあくる日のお昼の「婦人ニュース」に「若い世代の見た東南アジア」というタイトルで出演しました。1966年には横浜からシベリア経由でヨーロッパに向かいました。コペンハーゲンのイダ・ダヴィッドセンというレストランで仕事をし留学資金の一部を稼ぎ、ドイツのフライブルクとケルンで大学生活をエンジョイしました。外語ではなんにも勉強してなかった僕がなんとか卒業できたのは、外語のドイツ語の同級生、永井進君、山本昭彦君、牛山紀雄君のノートのおかげだったと思います。本当にありがとう! と、誌面を借りてお礼を言わせてください。

南ドイツのフライブルクでワインに興味をもつようになりました。ワインの仕事をしたいと思って55年経ちました。そして1970年フランスでフランスワインに出会いました。その瞬間にドイツのことをすべて忘れてしまいました。そしてフランス料理を毎日いただければとフランスの文化に憧れるようになりました。

1972年フランスワインとイギリスのオーディオの輸入の目的でodexを設立しました。オーディオは自分が気に入ったリンソンデックLP12とRogers BBC Monitor LS3/5AをLinn JapanとRogers Japanの設立まで続けました。世界的なブランド2社を無名の時代に発掘しました。ワインは、フランスの三ツ星シェフ、ジョルジュ・ブラン、ミッシェル・ゲラールそしてアラン・デュカスのシェフソムリエのジェラール・マルジョンと仲良くなり、彼らのワインを紹介しました。そしてバブルの時期には、ボルドーの1950年代、60年代、70年代の古いワインを日本一在庫していた会社だったと自負しています。1984年のシャトー・ラトゥールはコンテナ一本700ケース輸入していました。フレンチの名門シェ・イノの井上さんに、そのうちの年間100ケースをグラスワインとして買っていただきました。日本のバブルが終わり、中国、ロシア、アメリカと世界的に高くワインが求められるようになり、odexのリストで39,000円だったロマネ・コンティが100万円で売られるようになって、自分のエネルギーを注ぐビジネスではなくなったという結論を出しました。オーディオは、まだ当時無名の20代だったリンプロダクツの創業者Ivorらを発掘し、一緒にブランドを築きあげた時代でした。ワインはボルドーからイタリアへ主力を移しました。次にイタリアも北から南に着眼点を変え、無名のジャンニ・マシャレッリそしてスペインではテルモ・ロドリゲスという天才を発掘し、今に至っています。4番目の輸入国として、オーストリアでは20代のマルクス・フーバーにたどり着きました。ところで日本人は、ワインの情報が欲しい時、英語以外、せいぜいフランス語の情報まででしょう。それ以上は、日本人の書いた本のコピーの情報だけでしか頼れず、そうするとまだ知られていない新しいワインのことを判断することができないのでは、と心配しています。一方で、世界的にも無名だったマルクス・フーバーのワインを、オープンわずかのマンダリンオリエンタル東京ホテルがすぐにハウスワインとして採用し、トレードマークの扇をプリントしたプライベートラベルを作っていただき今日に至ります。そして5番目に輸入しはじめた国はポルトガルです。南青山のジャズクラブ、ブルーノート東京でプライベートラベルを作っていただいています。僕は僕が100歳になったころ、今から23年後、ポルトガルが世界一のクオリティワインの国になっていると信じています。

さて、神のおぼしめしで、もし長生きできて僕が100歳になった時、100カ国食べ歩きが達成できればと夢想しています。今55年間の食べ歩き歴で55カ国達成しました。最後に、僕は40でフランス語を始め、50でイタリア語とスペイン語、60になってアジアの言葉を学び始めました。今11カ国語でワインと食を語れます。5カ国の土地の生産者たちと、現地語で直接取引をしています。ひとつだけの例外は、外語のフランス語科出身の坂口功一さんのパリの会社Société Sakaguchiです。シャサーニュ・モンラッシェのMichel Niellonのワインの輸入を通じて、30年間のお付き合いをさせていただいています。坂口さんありがとうございます。

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本物の時代がくる。

本物の時代がくる。本物のワインが売れてます。いい時代のはじまりです、今。2020年7月27日月曜日、コロナ禍、夏の暑い中、それも月末に、都内のワイン専門店に59ケースの出荷でトラックを手配しています。先週高輪にお見えいただいた発注者から、ワイン、それも高いワインがよく売れているという嬉しいお話がありました。7月24日、25日、26日の連休はKumi-san(小茄子川)と札幌にオープンしたばかりの酒本商店さんの新しいワインショップに出かけました。朝から若いお客さんがひっきりなしで、日本酒を買いに来られた方も、私たち無名のインポーターのワインをたくさん買っていかれました。産地も品種も特に気にせず一番売れたのはテルモのゴデーリョです。札幌を出る時に、すばらしいメールが彦根の若林さんから入りました。ninoの日本のおうちワイン6本セット(10000円)が30セット売れたとのこと。実は前回の長岡中村さんでの一般向けの試飲会で一番売れたのも、単独のワインを超えて、同じninoの日本のおうちワイン6本セットでした。前々回の同じ催しで一番売れたのは赤はピノ・ノワールではなくて、なんとボジョレでした。

30セット×10000円販売実績の彦根のノブちゃん

すばらしいことに、活字にまどわされない、ラベルの表示を気にしない、プロの言葉を盲信しない、本物の味のわかる若い人が増えてきています。これからは本物のワイン。そしてコストパフォーマンスのわかる人が日本のワインの市場の未来をつくっていく時代がやっときたという、確信をもてました。この時代こそ本物のワイン、知名度が低くても、コストに実感をもっていただくために、キャンペーンをコスト度外視でやっています。フランス、イタリア、スペイン、オーストリア、ポルトガルと5カ国にわたってやっていただくお客さんが今、どんどん増えています。次は、ショップにodex wine only corner をつくってくれませんかと頼んでみようかなと夢を見ています。そしてレストランのワインリストにodex1ページを割いていただけるかな、と? 最後に昔話をふたつ。

実は2回、odex1ページリストが過去にありました。南青山のCICADAのテルモセレクション1ページ。1984年には大阪リーガロイヤルホテルのフレンチレストラン「シャンボール」に私、ninoと三ツ星ジョルジュ・ブランの選んだ、ちょっと古めのブルゴーニュワイン特別ページが1ページありました。自慢はさておき、皆さんに、特に北海道のグルメのことを。1972年のodex設立直前、札幌オリンピックの選手村でドイツ語の通訳をしていますが、この50年北海道にかよって、どんどん食材がおいしくなってきています。僕の大好きな関西、九州のレベルまでついに!!! 嬉しかったです。ふだん東京では野菜もお魚も食べれない人なんですが、北海道は天国でした。一緒に本物を見極めるようになりましょう! ワインも!(odex nino 喜寿77歳)