さて、彼はまた、別の形でもワインへのアプローチを推し進めた開拓者です。

トップ・キュヴェに当たるヴィラ・ジェンマは、サン・マルティーノ・スッラ・マッルチーナ村の標高の高い畑のみを用いた、気高さと剛健を表現するワイン。そしてマリナ・ツヴェティッチのシリーズは、変化に富む広範囲の所有地を分析して品質に応じてぶどうを選択し、比較的に毎年質的安定をはかることが出来るワインです。

また、テラモ地区に特別なテロワールを見出し、2003年ヴィンテージで標高が低く暖かい海沿いのぶどうのみを用いたイスクラ(スラヴ語で「ひらめき」)を発表します。ヴィラ・ジェンマとは対照的な、温かい重厚さが特徴のモンテプルチアーノです。このことによって、ジャンニはアブルッツォのテロワールが変化に富むことを、我々に示そうとしたのです。当時のアブルッツォでは誰も考え及ばなかったテロワール・ワインの概念でした。

その後、ジャンニは別事業として2004年にペルティコーネ男爵の持ち物であったセミヴィコリ城を買い取っています。これは文化活動やワインを広める教育にも貢献したいという彼の意思であったといいます。寒村に生まれた農夫の息子が一代で400haを所有するまでになり、城を買い、文化事業に手を染めることは、多いなる努力を強いられたにせよ、夢の様なサクセスストーリーだったに違いありません。改装前の荒れた城内のキッチンとダイニングテーブルだけをきれいにして、嬉しそうに私たち仕事仲間や友人を夕食に招いていたジャンニの姿が記憶にあります。

しかしながら2008年、52歳の若さでセミヴィコリ城のオープンを待たずして彼は他界してしまいます。

遺志を継いだのは、妻のマリナ・ツヴェティッチ。翌年2009年に11室のみの一流ホテルとしてセミヴィコリ城をオープン。アブルッツォの伝統を伝える料理が提供され、同時にジャンニの遺志通り、様々なコンサートや文化的活動、ワイン教育に関するイベントも行われています。

現在もマリナを中心とし、ジャンニがいた頃と同じスタッフが醸造所と熟成庫を管理しています。世間の向かい風をものともせず突き進んだジャンニの強い意志や、独創性に富むダイナミックな精神はマリナがしっかりと受け継いでいます。

セミヴィコリ城には畑が付随していましたが、そこから早速トレッビアーノのワインが販売となりました。そして2009年には、メルローとカベルネに10%モンテプルチアーノがブレンドされた赤ワインを発表。ともに素晴らしいワインであるのは勿論ですが、城の以前の所有者はこのワインを飲んで大変に悔しがったとか。「たいした手入れもしていなかったので、こんなに良いワインが出来る畑とは知らなかった。二束三文で売って損をしたよ!」と。今後もダイナミックなマリナが、マシャレッリのワインに話題を与えてくれることでしょう。